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頭の回路と自分の選択

朝、カミさんが一足先に仕事に出かける頃、子供たちの一日が始まる。
娘は7時に自分の目覚ましで起きて、眠い目をこすりながら健気にもいそいそと朝食を作る。
簡単だけど、昨日の残り物を使い栄養バランスのとれたご飯で、一日がスタートする。
娘が『できたよー♪』と告げると、息子がやはり目をこすりながら部屋から出てくる。
食卓は、夜見た夢のことや今日学校に行ったら何して遊ぶか、なんて他愛もない話題で盛り上がる。
子供たちは"ごちそうさま"をすると自分のお皿は自分で洗って、着替えとトイレと歯磨き。
8時前には2人とも勉強を始めて、9時までに日本語の勉強と学校の宿題を終わらせる。
9時になったら車に乗って、学校までのドライブを、また他愛のない話で楽しむ。
学校の近くに車を停めたら、手をつないで教室の前まで子供を送り、親御さんや先生と挨拶する。
嗚呼、みんなが笑ってる・・・
いつものトトロのような清々しい朝のひと時である。

ここまで全部うそ。
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勿論そんなことはない。
僕の妄想である。
ここはジブリじゃなければNHKの教育テレビでもない。
現実は厳しいのだ。

まず、娘は決して7時に自分で起きたりはしない。
僕が7時過ぎに『おい、起きろ』と言うと口から変な音を発しながら布団の中で何やらモゾモゾ始める。
僕が、トイレですっきりして着替えをしてネットで今日の天気をチェックしたあたりまで我慢して、再度
『いい加減に起きろ!』
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と怒鳴り散らすまでは私は寝ててもいいんだよ、てへ♪
とでも思っているらしい。
6年生にもなった娘を信じ、僕が口うるさく言うのを我慢していることなど、夢の中ではわかるはずもない。

寝起きの娘は不機嫌ではあるが、それでも、彼女はぼさぼさの頭で朝食を作り始める。
その怒りは、親切にも目覚ましの代わりに起こしてあげたこの僕に向けられているのか。何とも理不尽な話である。
彼女がダラダラとすごい時間をかけて作っているのは、バターをミリ単位の厚さで塗りたくった上に、それを打ち消すほどのジャムを重ねた何ともリッチなトーストである。
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味覚はオージー、体は日本人、である。
『やめろー!やめてくれぇ!』
子供の健康もさることながら、こっちは先日の血液検査でコレステロール値が高いとGPに指摘されたばかりである。
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わせみーくんのドクター沼田が、オーストラリアの老人介護でステーキやらピザを出される現状を嘆いていたのを思い出すと、
老後こいつにだけは世話になりたくない、と本気で思ってしまう。

『できたよ・・・』
寝起きの上に大好きなバターを半分以上減らされた娘が吐き捨てるように言うと、僕は息子を起こしに部屋へ向かう。
7歳にして、これまで年に一度くらいは自分で起きることもあったかと思うが、
それは天変地異と同じ扱いであり、何故か凶事を予感させる。
『えっ?自分で起きたの?なんで!?どうしたの!?ちょっと大丈夫!?』
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さてさて、幸か不幸かこの日もそんな天変地異はなく、普通にブラインドを開けて僕が息子を起こす。
封印を解いて小さなモンスターが目覚めて暴れだす、いつもの瞬間である。
僕が布団を引っぺがすと息子はバタバタやりながら、
『なんで起こすんだよぉ!』
といつもの如く僕に罵声を浴びせる。
それがようやく収まると
『だっこ・・・』
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”お前のために起きてやったんだから、せめて食卓まで抱っこくらいしろ”
という意味である。
見た目は子ども、頭脳は王様。
こいつの勘違いも甚だしいが、こうなるとテコでも自分では歩かない。

小学一年生にしては大型な息子を担いで食卓に着く。
朝食の話題は、コレステロールと成人病について。
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昨日見た夢とか学校のこと・・・、そんなものこの際どうでもいい。
娘と僕の行く末の方がよっぽど心配だ。
早速、コレステロール値を指摘されたのをきっかけに僕がネットで調べ上げた”にわか知識”を披露する。
黙ってダラダラと不本意にもヘルシートーストを食べている娘に、まずは脳梗塞のメカニズムから始ようではないか。
そうこうするうちにヒートアップ。
僕の話に僕だけが盛り上がって、
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『いいかぁ、頭の血管が詰まるとなぁ、エライことにぃ・・・』
というクライマックスの一番いいところで、いつもの如く息子の登場。
『昨日見た夢がねぇ・・・』
『うるせぇ!俺の大事な話に割り込むなぁ、俺の血圧を上げるな、ぼけぇ!!』

ごちそうさまをすると、各自お皿を下げる。
それくらい自分で洗え、と言いたいところだが、二人ともこれ以上機嫌を損ねると、この後の勉強に差し支える。
着替えて歯を磨いてトイレを済ませれば、あとは勉強。
勉強開始の8時まであと15分あるが、油断は禁物である。
案の定、着替えを取りに部屋に行く、ただそれだけなのに息子は途中で床に落ちているスリッパに心を奪われる。
そして、彼は5分間スリッパに手を突っ込んで遊んで、
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謎の奇声を上げながらトイレを満喫した挙句、貴重な朝の便器を独占すること10分、
歯を磨く前に、床に転がってグチャグチャになった、およそ飛びそうもない紙飛行機を投げることに5分間熱中し、
いつもと何ら変わらないお隣さんのニワトリをぼーっと5分間観察した挙句、やっと勉強の準備を始めた。

それでも、この5分や10分息子の奇行が治まるのを待つ、という行為は僕が最近得たスキルである。
このスキルを得てからというもの、常軌を逸した息子の行為がなんとも可愛く笑えて見えてくるから、不思議である。
以前の僕であったら、1分と待てずに烈火のごとくキレて、とっとと勉強をさせていたところだが、
怒って無理やりやらせると、怒られてから仕方なくやる、ということに慣れてしまう。
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そしてそのまま成長すると、いつまでも他人に怒られる訳にはいかないので、今度は自分で自分に怒るようになる。
常に自己評価を低くして、自己否定を繰り返すことで、自分はこんなにダメなのだから頑張らなくては、と自分を鼓舞することを覚え、その代償として自分を好きでなくなる。
自分の達成を評価することを決して良しとせず、代わりに、そんな自分こそが『爪を隠す能ある鷹だ』と自分に酔い、やがて自信を持つということが何なのかが、わからなくなる。
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能ある鷹は、『自信があるから』、爪を隠すのであり、これは自信と余裕を兼ね備えた人間を形容する言葉である。
決して、謙遜を気取って自分を褒められないような人間を形容する言葉ではない。
こうなってしまっては、とんだ勘違いだ。
そして、そんなことを繰り返すうちに、今の僕のような人間ができあがるわけである。

僕は、小さいころからよく『自信を持ちなさい』と言われてきた。
ところが能ある鷹の真似をするだけで、自己評価をして自信を持ったことなど実感したことがないものだから、そもそも意味が分からない。
『自信を持て』など、毎度毎度意味も分からず聞かされる身としては、なんとも無責任な言葉であり大きなお世話だ。結局チンプンカンプンなまま40過ぎたオッサンになってしまった。
そこで、息子の行動を観察し『自信』とは何なのかをこの年にして真剣に考えてみた。
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ネットで調べると
『自分の価値・能力を信ずること。自己を信頼する心』
とあった。
まったくもって意味不明だが、まぁそうなのであろう。
さりとて、これではよくわからないので、自分の言葉で考えなおしてみる。
『未来の自分が、それを達成していることを信じること』
これもダメだ。そんなもの信じられない。これでも弱い。
結局、現時点で自分が納得したのは、自信とは
『何かを達成して心が満たされている未来の自分が、実は既に存在することを、普通に自然に無意識のうちに知っていること』
ちょっと言い過ぎかもしれないので、若しくは、
『何かを達成して心が満たされている自分の存在に、常に慣れていること』
確かに、これなら絶対的な自信だ。

というわけで、『子供のころから達成感を持って自分の心を満たすことに慣れる』という厳しい厳しい訓練を、朝から晩まで息子に徹底的に叩き込むことにした。
その訓練の内容は、待って褒めることである。
これでは僕の訓練ではないか・・・
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勿論、人の道に外れたことをすれば、待たずに怒る。
これは親としての責任である。

子どもを褒めることや待つことは大事だ。
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そんなことは、誰もがわかりきっているし、これまで自分自身何度もトライしてきた。
その度に挫折したのは、自分に余裕がないからだ、ということだってわかっていた。
そんな自分の頭の中でスイッチが入り、待つことの余裕と時には勝ちを譲り相手を褒めるだけの度量を持つことを覚えたのは、最近ある人物と会い、彼女と会話して、彼女の書いた本を読んだことがきっかけである。
因みに僕は本を読むのが何よりも大嫌いで、最後に本を読んだのがいつだったか、それが何だったかすら覚えていない。
その僕が付箋とアンダーラインだらけにした本のタイトルは
『沈黙の国から来た若者たち』
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我が家から自転車で10分、シドニー郊外の Davidson Highs School に通う日本人留学生の姿を描いた本であるが、40過ぎたオッサンも海外生活をする自分自身と留学生を重ねてしまい、書いてある言葉が心に刺さる。
著者は原田房枝さん。
20年以上、 Davidson High School に日本人留学生を招いている教育機関 ICET(アイセット)の校長である。
自分自身が留学生から学び成長した、という房枝さんが、これまで自分が留学生たちから与えられ培ったものを今度は外に向けて発信しようと、本を出版し、シドニーでワークショップを始めようとしている。
僕は会ってすぐに、図々しくも彼女になごまでコラムを書いてくださるようお願いした。
まだ準備があるので先の話になるが、今後房枝さんのワークショップの情報と彼女のコラムをなごまから発信できることに、感謝する限りである。

柄にもなく説教じみたコラムを書いて恥ずかしいことこの上ないが、房枝さんの本や彼女から聞いたお話と、それらを自分なりに勝手に解釈した、これは受け売りである。
是非ともこの本を読んで、著者である房枝さんのワークショップで話し合って、みんなが自分なりの解釈でハッピーになってくれたらと心から思う。
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まだまだ書き足りないことの方が圧倒的に多いのだが、きりがないので、続きは次回。
そもそも、コラムのタイトルである『頭の回路と自分の選択』について全然言及していないではないか。

因みに、目標の8時を20分ほど過ぎてようやく勉強を始めた息子だが、勿論この日も殆ど集中することなく時間は過ぎ、やっとエンジンがかかったころには9時を回っている。
やばい、遅刻である。
終わらせるはずだった勉強を途中でほっぽり出して、僕も含めて3人とものび太のようにドタバタと準備をして車に乗る。
車の中で、娘は読書にのめり込み、僕は
『しちいちがしち~、しちにじゅうし~・・・』と息子に九九を聞かせる。
この日は7の段。ひたすら息子の頭の中に刻み込む。これは耳を塞がない限り脳裏に焼き付く恐怖の呪文なのである。
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数年前、これで一足先に掛け算をマスターした娘は
『私は算数が得意なんだ♪』
とまんまと騙されたらしく、その結果、自分は算数でいい成績を取るのが当たり前だと思い込んでいる。
大した自信ではないか。
実際、算数はなかなかの成績である。単純な娘でよかった。
息子にも九九はまだ早いが、意味は分からずとも、きっと後々役に立つだろう。
なぁに簡単なことだ。ただ僕が運転しながらお経のように九九を唱えるだけだ。

学校の近くに車を停めると、今日も遅刻ギリギリ。
ようやく子供から解放された僕は、車の中から『早く行けよ』と子供たちに一言投げつけて、仕事に向かう。
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娘の担任など、名前はおろか顔も覚えていないので、教室の前で挨拶などあったものではない。
嗚呼、トトロはどこへやら・・・
いつもの怒涛のような慌ただしい朝のひと時である。


 

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